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「劇団☆死期始動!」
BankART NYKでのスタジオプログラム


このBankARTという横浜馬車道のアートスペースで毎年行われているスタジオプログラムに岡田が参加する事になり、劇団☆死期は始まりました。

岡田裕子団長&会田誠顧問(いちおう夫婦)宅は引っ越し魔で、付き合って以来というもの、NY(アメリカ)→草加(埼玉)→松原団地(埼玉)→綱島(港北区)→西荻窪(東京)→九十九里浜(千葉)と、幾度となく住む場所が変わってしまっている。
飽きっぽいというのもあるのだが、できるだけ広いアトリエが欲しいと言う願いもあり、でもそれはけっこう見つけるのも大変で、なかなか居場所が定まらない。とうとう千葉にボロいアトリエ兼住居まで買ってしまい、ここに骨を埋めるのか・・・と思ったのだが、諸々の事情で3年で住む事に辟易してしまった・・・。
そんな折、岡田に多摩美術大学油画の非常勤講師の仕事が舞い込んだ。母校だし、やってみたいし、どーせなら実家と大学に近い横浜市にちょっとの間住もうかな、という事となったのでした。

んで、横浜に引っ越した。横浜住んで何やろう。
千葉に住んでいたときの千葉大芸術学ゼミがやっていた地元密着型のアートプロジェクト「Wi-CAN」に参加して大学生と試行錯誤した日々は、岡田にとってとてもいい経験で、これだけでも千葉滞在は自分にとってとても有意義だったなという思いがあって。せっかく横浜に住んでいるのだから、横浜のアートコミュニティにも首を突っ込んでみたい。
そんな気持ちもあり、BankARTのスタジオプログラムに参加してみたのでした。
BankARTは横浜でも有名な美術館のような施設なのだが、関東でもめずらしい規模のアーティストインレジデンスの機能を併せ持っており、展覧会だけではなく作家達にスタジオ制作をさせたり、その間オープンスタジオで一般に公開したりしています。

さてさてスタジオでなにを作ろうかな、と。
最初は個人活動で参加するつもりだったので、漠然と公開制作かなあ、と思ってたり。

で、この時期、NHKのドキュメントで、タイトルは忘れてしまったのだが、とある一般人のおじさんが取り上げられていたのを深夜の再放送で観たのですが。
ー彼はウルトラマンなどの特殊撮影モノが大好きで、怪獣の被り物を制作する技術者になるのが夢だったらしい。
しかし夢破れてしまった。
じゃあ、自分で勝手に作っちゃえ、ということで、広いガレージを借り、自分なりに試行錯誤で被り物の作り方を会得し、かなり広いガレージを借り独りで制作(温かな眼で見守る妻が印象的だった)。
だれに見られる事の無い怪獣を日夜作り続けているー
・・・というものでした。
最後、NHKのスタッフが被り物を着て「グア~ッ」なんて動くのを撮影してるおじさんの嬉しそうな顔が印象的で。あの怪獣、第三者が身につけたの初めてなんじゃないか。

なんだかこれが沁みたのよねえ、用途の無いおっきな人形でもBankARTで作ってみようかしら、なんて話を自宅夫婦飲みで話していたら「人形作るなら人形劇やんなよ」と夫。
「えっ私劇団はやったことあるけどパペットとかまるで興味ないし人形劇もやったことないよ」
「俺顧問やるからやろうやろう」

どうせやるなら超・実験的な現代美術系人形劇団つくろう、誰からも理解されなくてもいい、お客少なくてもオーライ、お金も儲からない、そんなヤツ。劇団四季と全くベクトル違う、そんなの。
死期、だからなんだかもう終わっちゃってるかもしれない、そんな雰囲気。
そんなことで「劇団☆死期」が発足することになったのでした。

BankARTではまず何が作れるかから始まって、劇団☆死期のオリジナルロゴとか(ちょっと活動家ちっくなヤツね)、劇を上演する移動式のテントを制作した。
人形を制作できそうな、ありったけの不要な布とかガラクタを色んな方々に持ってきてもらって、画材とか素材をランダムに置いて、それがスペースをグチャ~っと埋め尽くしていた。で、だれでもウェルカムな状態で、身近な作家さんとか、大学生とか、中学生とか、とにかく参加したい人は参加する、人形を作る事から始めようって事となり。
まったく人形作りにルールを設けなかったから、イビツで不気味なオブジェみたいなのがゴロゴロ出来上がって、現場でテスト撮影をしたりしていた。今回生まれた人形とか、今後出来上がる人形も、スターシステムみたいな方式で、色んな役柄で登場させればいいよ、なんて話をしながら。
手探りってこういう事いうのね、みたいな見切り発車の「劇団☆死期始動!」でした。


現場で人形を制作する人々。飛び入り参加歓迎!現場で人形を制作する人々。カメラテストのビデオを見ながら。
現場で人形を制作する人々。飛び入り参加歓迎!現場で人形を制作する人々。カメラテストのビデオを見ながら。